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今週のちょっとした出来事。

青島で活躍する日本人若者企業!!

2011.02.01 近くて、"近い"都市『青島』で頭角を顕す元気な日本人ベンチャー

ご紹介するサイト:ゴビーズ株式会社

寒風吹き荒ぶ2月。日本国内も相かわらず寒い寒い状況です。今やどんなにドメスティックな会社といえども、日本の消費者の影響を受ける限り、世界市場を無視した成長戦略は描けない状態。企画をし、設計をし、生産をし、広告宣伝販促をし、販売をするという一連のビジネスのフレームを、グローバルな視点から最適化しないと、存続して行けない。極論するとそんな境目のない時代へと突入したのだという実感があります。物流が発達し、ネットによるタイムラグのない情報流通は、ある意味で局所的なマーケットやコミュニティを破壊し、すべてが汎用化されていく。エントロピー増大の法則からすれば当たり前のことです。

ビジネスの面白いところは、局所的に偏在するマーケット=ニッチリッチというものもあったりして、ここでオンリーワンになることで繁盛することもあります。

とはいえ、日本のこの先を考えると甘い事は言っていられません。バブルを経験した親を持つ子供たちは、親の凋落を身近で観察し、大きな夢を持たず、堅実に、安全に、親の保護の範囲内で小さな幸せを享受する、『巣ごもり」をし始めていると揶揄されています。

貧乏を背景に、あるいは屈辱や挫折をバネに、肉体を犠牲にしつつも困難に情熱的に立ち向かうファイターは、タイガーマスク世代で終焉したのでしょうか。

ところで当社に昨年末から近くて遠い国とされる中国から業務発注がありました。青島(チンタオ)で活躍する日本人ベンチャーからです。その名は『ゴビーズ株式会社』

若干三十代の若者集団です。業務内容は、中国に進出する日系企業の人材ソリューション、業務コンサルタントです。ホームページもその1つ、ということで、もともと国内で親交のあった若き社長さんから、お仕事を振っていただいているというわけです。

いずれハーテックも海外市場を相手にしなければいけないと感じている矢先、自分たちよりも若い世代が一足もふた足も先に海外に出向き、海外から生産拠点として当社を使っていただける。ありがたい話です。受け身だけではいけないのですが…



クラウドの猛威!?

2010.09.16 クラウド時代のニーズ、そしてクラウド時代のサービス

撮影場所:零細制作会社は、ITの不動産賃貸会社と化す?

G-mailやグーグルカレンダーDropBox…。使ってみるととても便利なサービスです。利用者の入り口が皆同じところにあるのに、ログインしてしまうと、あたかも自分専用のように出来ている…こうしたサービスを総称してクラウド(Saas)と呼ぶわけですが、これが、私達の業容を大きく変えていきそうな気がしています。

入り口が同じということは住所は同じ…でも住んでいるところは区分けされていて、賃料を支払う…喩えるならば賃貸マンションのようなものです。賃貸にもプライバシーに配慮したもの(DropBox)や、ご近所付き合いが緊密な長屋のようなものがあります。後者には、twitterのようなかなりオープンなクラウドもあります。大きく叫ぶと隣近所に響きます(笑)。

クラウドは、多くの方が利用すること前提としたシステムですので、高速で大容量で堅牢なデータセンター(DC)が要になると言われています。ムーアの経験則によればチップのスペックは2年で2倍の進化を遂げますから、普通に考えてサーバは所有するより借りる方が効率的です。その冷却に必要な電力コストだって無視できないレベルになります。最近ではスペース効率に配慮した「コンテナ型DC」が登場するなど、この手の業態は今後伸びしろが大きいと思われます。

問題は、零細企業のとるべき業態です。資本力のある企業ならDCに投資する(土地オーナーになる)もしくは、クラウドを開発して賃貸する(マンションディベロッパー)になることができます。ところが資金力のない零細企業の場合、DC供給業態にもクラウド供給元にもなりずらい。結果システム負荷の小さい小規模のクラウド(下宿経営)、あるいは、自社サーバにセットアップしたアプリを個別に貸出すASP(個別物件賃貸)事業を展開する…いずれにせよ厳しい選択です。

一筋の光明があるとすれば、クラウドを共に使うユーザーとして、その使い方をご教示する、あるいは数あるクラウドから最適サービスを選定し、クラウドの運用を代行するなど、保守やクラウド時代のシステムプロデュース(長期修繕計画)を請負う…といった知的提案業としての道筋です。ちょっと愚痴っぽい長文ツイートとなりました(笑)。零細企業には零細なりのニッチ市場もありますから、希望を持ってがんばります!



日本はコンスーマーと対話したくない国?

2010.07.04 日本はコンスーマーと対話したくない国?

撮影場所:SAMSUNG(サムソン)社リージョナルサイトに見られる各国の情報公開度

twitterやfacebook等ソーシャルメディアの世界的な広がリは、いまや「個人」という枠を越えて、企業広報のあり方も革新しようとしています。

従来の企業広報は、インタラクティブであるとされるインターネットの世界でもおよそワンウェイな情報開示が主流でした。お問い合わせシステムを実装しているとしても、本音ではあまり顧客対応にパワーを裂きたくない、当然のことながら電話対応はなるべく回避する…という『見えざる力が働く』のが一般的でした。

しかし、twiiterに代表されるコンスーマー相互による情報共有システムは、企業の陰の部分やあまり公開したくない部分も、瞬時にお日様の下にさらけ出すことに成功しました。しかもその情報の精度、信憑性という部分において、かなりの角度で事実を言い当てるものとなりました。これまで「2ちゃんねる」等の投稿は風評被害として黙視されるか、逆SEOの格好の標的となり圧殺されてきましたが、ある種の意志をもって集結した人々の『板=場』と違い、個々には無縁である人々のつぶやきを通じて、一定の評価、評論が形成されていくならば、もはやそれは、『客観性のある情報』と捉えるべきではないでしょうか。

つまり、企業広報ではこうしたソーシャルの声を、今後無視できなくなるということです。そして、そのようなトレンドにいち早く反応した先進企業は、ソーシャルメディア上に自社の公式アカウントを取得し、ユーザーと直接対話を始めています。

ここで問題なのが、お国柄です。欧米企業の多くは、積極的に門戸を開けているのに、なぜが日本の企業には顕著な動きが見受けられない。たとえば右上の「SAMSUNG社」のサイト。【日本向けサイト】【米国向けサイト】【英国向けサイト】を比較すると、なぜか日本サイトのみ、twitter/facebookへのリンクがありません。

この理由を小職なりに推論しますと、一般論として、組織管理の行き届いた日本企業の弊害として、会社を陥れる行為には皆が消極的であり、余計なことには首を突っ込みたくないという体質にあること、また仮にユーザーと直接対話するとしたら、組織内の誰が、どのような権限で応対するかという職務権限と役割分担の問題が障害になっているものと思います。細かなことにクレームを発する国民性も背景にはあるかもしれません。

ソフトバンク社の孫社長の場合、戦術上旗振り役を自らが買って出ているところがあるものの、代表自らがユーザと直接コンタクトしていますので、これはあまりにも画期的過ぎます。サラリーマンからすれば、自社の社長がそんなリスキーな姿勢を見せるはずのないことは、容易に想像がつきます。しかしながら、ユーザーからすれば、仮に「美辞麗句を並び立てた公式サイト」と「twitterの多くのツィート」とに大きな内容の違いがあったとき、どちらを信用するでしょうか。そう考えると、日本のドメな、バナキュラーな企業においても、真のディスクロージャーが求められる時代がようやくやってきたとも言えると思います。



ソーシャルメディアを上手く活用している事例

2010.06.01 ソーシャルメディアを企業広報に活用する?

撮影場所:BEHRINGER(ベリンガー)社ホームページの活用例

最近のホームページ制作では、TwitterやYoutubeへのリンクボタンを設けることが多くなってきました。右にご紹介するサイトは、ドイツの音響機器メーカー、BEHRINGER(ベリンガー)社公式ホームページです。このサイトの右ショルダーには、5つのソーシャルメディアへのリンクバナーが貼られています。

Wikipediaによると、『ソーシャルメディアは、誰もが参加できるスケーラブルな情報発信技術を用いて、社会的インタラクションを通じて広がっていくように設計されたメディアである。(途中略)ソーシャルメディアは、インターネットやウェブに基づく技術を用いて、 ブログやtwitterのつぶやきのような一方方向の独り言を多くの人々に伝えることによって、 多数の人々が参加する双方向的な会話へと作り替える。ソーシャルメディアは知識や情報を大衆化し、大衆をコンテンツ消費者側からコンテンツ生産者の側に変える』とされています。

したがって、企業が一方的に広告宣伝を行うものではなく、またマーケティングに活用するにしても双方向であることが本来的な使い方であると思います。孫社長個人がTwitter上でユーザーに返信することは、ある意味、ソーシャルメディア的な使い方を遵守していると言えますし、逆に自社製品やサービスに関するリリースのみしかしないとなると、宣伝ツール=マスメディア的な使い方だと避難されることになると思われます。

上述のベリンガー社では、【facebook】【twitter】【myspace】【flickr】【youtube】上でユーザーと直接対話をしています。
■リアルタイム■ダイレクト■ディフュージョン=『その場で直接接触しその内容が一気に広まる』ソーシャルメディアの特性が活かされた良き事例かと思います。

しかし、ただ返信さえすればよいかというと、そうではありません。孫社長のツイートはウィットに富んでいますし、ベリンガー社のYoutubeCMは非常に面白くできています。つまり表現主体の考え方や広告表現物のクオリティがあってはじめて、ユーザーの支持が得られると考えるべきでしょう。情報の質が大事。小社で受託する場合、コンテンツの品質や精度には充分に配慮したいと思います。



デジタルデバイド

2010.05.10 リアルタイムに、ダイレクトに

撮影場所:USTREAM ソフトバンクG 2010年3月期 決算説明会

本日iPadの予約が開始されました。ニュースのヘッドラインには銀座のアップルストアで100名の行列とありあました。また、宇田川町にはUSTREAMスタジオ 渋谷がオープンし、まさにこの瞬間(20時半〜)記念番組がリアルタイム配信されています。

iPhone、iPad、twitter、USTREAM、SIMMロック、フェムトセル、データARPU、電話会社Vsモバイルインターネット会社、ガラパゴス化…。横文字ばかりを羅列しましたが、コミュニケーションに携わる人間にとってはマークアップしてしかるべきものばかりです。そしてそれが意味するものは『ネットにいつでもどこでも接続して情報を取得したり、逆に発信することが日常になってきた』『こうしたツールやメディアを活用する世代が主役になりつつある』『そうした一種のコミュニケーション革命が恐ろしい早さで進行している』ということではないかと思います。

今、ネットの世界で何が起きているのか、さらに今後の我々のコミュニケーションがどうなっていくのか、この辺りのForecastについては、ソフトバンクグループの孫社長のプレゼンテーション(PPTはこちら)を拝聴(参照)されると大変参考になります。ちなみにこのプレゼンテーションは、プレゼン技法の参考にもなり、また社長たる者、自社のすべてを社内の誰よりも詳しく把握し、誰よりも丁寧に説明すべきことの模範例だと感じました。

小職の不勉強故、自分自身としては今後のシナリオが読み切れずにおりますが、少なくとも以下のような事態になるだろうと考えます。
■リアルタイム性 「今どこにいて、何を見て、何を感じ、何をしようとしているか」の『本音』がネット上に溢れる
■ダイレクト性 「ユーザーの声が直接企業トップに届き、企業トップからユーザに直接回答、会話することができる」
■ディフュージョン性 (Momentaryと訳すべきか)「あっという間に情報が拡散する」
■デジタルデバイド 「情報アクセス権が基本的人権となる(※孫社長コメント)が、一方で情報リテラシーの格差が拡大し、その差がステイタスにも影響を及ぼす」

したがって、まずはスマートフォンはツールとして携行が必須になるでありましょうし、またコミュニケショーションメディアの活用法については、日常の道具として抵抗感無く使用すること常識となり、ビジネスマナー化するのではないかと思います。

既に市場の牽引役はiPhoneを縦横無尽に使いこなす10代になろうとしています。一方で、主役の座を追われた旧世代(?)は、保守に固執しがちであり、新種の台頭を好ましく思わない傾向になります。結果的に主役となる世代から『絶滅種』と呼ばれては、自分たちの殻でのみ生存していく羽目になる…。哲学的な是非論は別として、変化に柔軟に対応することは、企業の発展に不可欠であります。柔らかな感性こそ、いま大事にしなければ、そう考えています。



歩いて、走って、花を見て、深く考え、抽象化する

2010.04.03 旬

撮影場所:飛鳥山公園

高校2年になる息子は携帯電話を常に"携帯"しています。メールはもちろん、音楽、ゲーム、ネットサーフィンにと、携帯は彼にとって欠かすことのできないツールです。我々の世代の腕時計と手帳みたいなものでしょうか。その彼に「1日にどのぐらい使っているのか」尋ねてみると、メールの数にして200件とのこと。上限設定のある契約ですから、これまで請求書をチェックすることなどしたことがありませんでしたが、改めて確認するとパケット料金換算で月額8万円相当の通信を行っていました。

我が息子のみの異常な状況かもしれませんが…稼働10時間としてメールは6分スパンで使用していることになります。メールはほとんどつぶやきのレベルです。…びみょう、ふつう、しらん、そう…。ツイートよりショートです。その間に、ゲーム、音楽DL、サイトブラウジングを繰り返すことになります。トイレでも、電車の中でも、外食中も、ドライブの最中も。です。中毒を超えて空気化しています。多分彼にはじっくりと孤独を楽しんだり深い思考をする余裕(?)はありません。

ツイターを使ってみると、ニュースよりも早いマーケティングツールであったり、距離感を感じさせないコミュニケーションツールだったり…新しいコミュニティがここに存在していることを実感します。実体の接触がないのに相手を近くに感じる…映画「マトリクス」の世界観に近い感じです。ツイターはメールとは違うので返信を強要されたりはしませんが、なんとなくある種の従属意識、支配力みないなものを感じることも事実。接続していないと落ち着かないという不思議な感覚です。

子どもたちにとっての暇つぶし、勉強からの逃避としての携帯。大人にとってのツイター、あるいはiphoneやPC端末。これは常習性のある麻薬に似ています。麻薬は非合法ですから、喩えとしては適切ではありませんが、要は使い方だと思います。猿にマスタベーションを教えると死ぬほどその行為に耽ると聞いたことがあります。真偽は定かではありませんが、手段が目的化してはいけない!ということの戒めとも解釈できます。電子端末を否定することはできないし、する意味もありませんが、たまには'独り'の自分とじっくり対話して、『人生を魅力的に活き粋きと生きていくために、俺がしなきゃいけないことって何だっけ』と沈思することも必要かなと思います。



50年前の家族、そして現代の家族

2010.02.17 「族」の力

撮影場所:慶応大待合室にて

週末、大学時代の友人が娘の受験に付き添うため、上京してきました。彼とは、専攻こそ違えど同じ学類で学び、また何よりも部活(体育会)でペアを組む親友でした。当時から、彼自身のキャラクターを良く知る一人であったと思いますが、こと家族関係についてはあまり尋ねることもありませんでした。時が経ち、子供が受験する状況となると、互いの子育てやら、子供の進路についても二人の共通する話題となります。

友人の子供は、当日の慶応をはじめ名立たる有名私立理系大を受験するとのこと。当然本郷の国立大の頂点もターゲットにしているらしく、合格可能性もかなりのもののようです。彼は、自慢気に話をしたわけではありませんし、むしろ充分に謙遜をしてそのような事情を話してくれましたが、一種の羨望の感を抱かざるを得ず、なぜそのような子育てに成功したのか、興味を持って尋ねてみました。

口べたな彼の言葉からは、あまりその理由が見当たりませんでしたが、当日入れ替わりで上京したお母様と雑談するうちに、ある事に気がつきました。実は彼は、結婚する際、叔父の家に養子として入りました。理由はともあれ、「父と母」を3組持つという事は大変だろうなと、同情したものです。しかし、視点を変えて「孫」の立場からすると、同居する義理の祖父/祖母以外に、父方、母方それぞれに血族の祖父、祖母を有する事になります。上京したお母様と話をするうちに、この3組の祖父母夫婦が、みな性格やら趣味、学歴、職歴が異なること、そのことが孫の成長に何らかの影響を与えているだろうことが、実に良くわかりました。3世代家族でしかもおばあちゃん、おじいさんが3人づついて、それぞれが孫に生きる術や価値観を授けている。なんて素晴しい事なんだろう、と。

50年前の家族の中には、赤ちゃんと、その兄弟と、父母と、祖父母が共存していました。そこには「育児」と「介護」が当たり前のように存在し、老人の最後の仕事は、老いゆく姿を後世の人間に伝え、生きることの意義を伝えていくこととされました(大泉保育福祉専門学校:野田先生談)。現代は『個性化』『成熟社会』と呼ばれる「個」を尊重する時代へと変わりましたが、そのなかで「集団のルールや倫理」をいつの間にか失い、さらには「血族」とか「家族」とか自身のアイデンティの根拠すら消滅させてしまったのではないか。帰属意識、互いに心配し思いやる族の関係…。小生自身が粗末にしてきたような気がしています。



50歳のハローワーク 2月2日のニュース

2010.02.02 50歳のハローワーク その1

撮影場所:児童養護施設「はなこみち」様取材後

「保育に欠ける児童」と「介護が必要な高齢者」を支援する仕事や資格を取材を終え、東京に戻る途中、ふと、このような仕事に従事する人々の職種には、他にどんな種類があるのだろうと気になり出しました。自宅に到着し、「そうだ、村上龍さんの『13歳のハローワーク』があったっけ」と気がつき、書庫の隅から取り出してみました。

この本、購入時はまさに13歳のための参考書として'買って上げた'モノでしたので、親として流し読みこそすれど中身をきちんと精査したことはありませんでした。改めて手に取ってみると、所々に「作家 村上龍氏」としての視点で書かれたエッセイが掲載されています。編集上、解説する職種をおよそ業界(正確には好奇心の類型)で括っていて、そのまとめとして、彼流儀の視点で世の中を観察、考察しているものです。発行日を見ると2003年。今から7年前ですが、その時点での推論、洞察が実に的を得ている。さすが一流の作家さん!と感心しつつ、彼が現代の仕事を包括的にまとめあげるこの仕事を通じて、世の中の動向を客観的に俯瞰できたのだろうと、少々羨ましくも思いました。

このなかで、彼は二つの事を語っています。ひとつは、成熟社会とか個性化の時代とか言われるなかで、生き抜く意味を喪失しつつある13歳に対して「好奇心を大切にしろ」という点。次に「ニーズがあるところに必ずビジネズが生まれる」という指摘。彼は巻頭でこう語っています。「世の中には、自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうでない人の2種類の大人、人間しかいない」と(p6から引用)。小職は、保育や介護に携わる人々の取材において、その仕事に取り組む原動力が、使命感(理性的判断)からなのか、単にやりたい(好奇心などの感情的理由)からなのか、とても興味深く質問しています。前者は今の世の中でとても大切なことですが、それを確認しようと質問すればするほど、本当の理由は、そこに関わりたいという自然な気持ちからなのだとだんだんわかってきました。

余談ですが、昨今、小学校や中学校の教員に「うつ」が多いと聞きます。村上龍氏の教育に関するエッセイでは…子どもは「魅力ある」教師や親を望むものである。魅力があるということは、人生を充実させ、楽しんでいるということに尽きる。…(p304から引用)とあります。厳しくても辛くても、好奇心に素直になり、自分がやりたいと思うことをやる、たとえその価値に見合うお金が得られなくても、です。児童養護や老人介護の世界で奮闘する人の多くが、おそらくそういう人たちなのだろうとリスペクトする今日この頃です。



成人式 1月11日のニュース

2010.1.11 成人の証

撮影場所:サンパール荒川

共通一次一期生の小職にとりまして「成人の日=1月15日=受験日=雪が降る日」という記憶がなかなか消えません。あれから30年が経過し、成人の日はいつのまにか1月11日に変わってしまいました。当時は成人式といっても今ほどのお祭り騒ぎなどは行わず、地元に戻るお金ももったいないということで、特別なことと言えばせいぜい部活の後に寮の食堂でNHKの「青年の主張」を観たぐらいでした。

時は変わって平成22年。父として、というか送迎役として、今時の成人式を参観いたしました。ここ数年成人式というと、マスコミが取り上げるのは、立派な成人の抱負よりむしろこの日とばかり派手なパフォーマンスを披露する一部の迷惑な輩たちです。興味半分で式場に着くと、たしかに茶髪に黄緑やオレンジの羽織姿の集団が奇声を上げていたり、数台の暴走族が往来しています。それでも会場が警察の前ということもあり、大きな混乱もなく、式典が始まりました。途中私語が止まぬ新成人たちに区長が苦言を呈したとのことですが、ニュースに取り上げられるほどの状況にまでは至らなかったようです。

静寂を取り戻した会場の外では、無造作に捨てられたペットボトルやコーヒー缶を会場のスタッフが拾って歩く姿が目に留まりました。よく見れば備え付けの吸殻入れ辺りは、「祝煙」をあげたばかりの吸いかけのタバコや空き箱が散乱しています。

「成人の日」の新たな記憶として残したくない光景でしたが、よく考えてみれば、このような行為は今日に始まったことではないはず。この手の輩にとってゴミや吸殻のポイ捨て行為は、もっと前から行われてきた習慣であり、彼らの日常の延長線上でしかないのだと思います。だから今日を以てそのような行為を止められるわけがないし、むしろ成人をしたことで、公に喫煙する権利を得、多くの同じ行為をする大人への仲間入りができたという事なのかもしれません。「新成人なのに」と20歳の若者だけを取り上げるよりは、そういう子供たちにしてしまった我々の世代の責任も重い。。。空は突き抜けるようなブルーなのに、心はやりきれない気持ちでいっぱいになりました。



1月1日のニュース

2010.1.1 足下を見て歩く

撮影場所:梶原商店街

過日TBSの日曜日の番組で、米国は総人口の5%でしかない富裕層が、米国の富の95%を支配しているという報道がございました。また、資本主義経済の風刺として、workする人々の上にeatする階層があり、その上にsoldierをめざす人がいて、さらにその上位には下位をlaughする人がいて、一番上にはruleを作る人が描かれた絵が紹介されておりました。

向上心高き努力家が、富の形成過程で、分配や感謝を忘れ、いつぞや自己の保身と自己の利益追求のみに執着する。すなわち行き過ぎた資本主義は搾取を生み、民主主義を脅かす状況に至るという皮肉です。 これから人の上に立とうとする者、そして既に成功を納め影響力を及ぼす存在になった人は、金のみならず、多くの民を導く精神性をも持ち合わせていなければならないとのだろうと感じた瞬間でした。

共に学ばぬ者、働かぬ者に、努力の成果を分配をすべきではありませんが、リーダーたる者は、そのような怠惰組も時として導いていかなければなりません。 人の心を鼓舞し、一つにまとめあげていく力。それがリーダーの資質なのだろうと思います。それはお金より、むしろ西洋の愛であったり、東洋の慈悲であったり、哲学者の語るモラルであったり…

危機感の強まる昨今ですが、今年は、そんな人々の不安感を勇気に転換させることのできる「救世主の登場」が期待される年になるのではないかと思います。